Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

LONELY HEART’S CLUB BAND

本棚がいっぱいになってきたので

映画やコンサートのパンフレットを処分しようとしていたら

KUWATA BANDのコンサートパンフの間から

コピーで作った手作りのパンフレットが出てきました。

 

それは

もうかれこれ30年くらい前

大学4年生の卒業間近の冬のことでした。

 

私が所属するバンドサークルは

冬になると、いくつかのバンドが集まって

小さなホールを借り切って自主コンをやるのが恒例でした。

 

卒演ではサークル全体で打ち上げをし

そして、自主コンでは、気の合う先輩と後輩が組んで

卒業していく4年生を惜しみながら

盛り上がります。

 

大学時代の私は、ほとんど初心者だけで

オリジナルに挑戦するという暴挙に出てしまい

下手くそで、音楽を楽しむなんてレベルではなかったのです。

それでもメンバーは愛着を持ってくれて

4年生までなんとか続きました。

出来上がった曲は本当に赤面してしまうような曲ばかりでしたが・・・

 

ドラムをやっていたヒデオくんは

青森出身のめちゃくちゃいい加減なやつでしたが

なぜか気が合い、下宿に幾度となく泊まらせてもらって

時間のある限り遊んでいました。

 

そのヒデオくんが

バイト先で知り合った女の子と付き合い

速攻で子どもを授かってしまいました。

それは4年生の夏になる頃でした。

 

そうしたら

「学生さんは気楽でいいよな〜」などと言い始め

学校にも出て来なくなり

さらにバイトに熱をいれるようになり

とにかく稼ぎまくっていました。

当然、バンドの練習にも、サークルにも出てこなくなってしまいました。

 

そのため、バンドは最後の学園祭には出られなくなり

卒業演奏会というラストステージには

後輩にドラムを叩いてもらって

なんとか締めくくることができました。

 

ただ、本当の最後の最後、自主コンシーズンには

活動することができませんでした。

 

その頃、サザンオールスターズが活動休止して

一時的に桑田佳祐さんが結成した「KUWATA  BAND」が

アルバムを出し全国ツアーを行なっていました。

コンサートを見にいった私は、衝撃を受けました。

私は急造で、サークルの仲間に無理を言ってバンドを作り

自主コンシーズンギリギリでまぜていただきました。

 

それが

「LONELY  HEART’S. CLUB. BAND」というバンドでした。

4曲だけ歌いました。

なんとなく雰囲気だけ、桑田佳祐さんに成り切っていました。

 

おかげで心置きなく学生時代を締めくくることができました。

 

ヒデオくんとは、その後、会うことはなく

毎年、年賀状だけのやり取りが続きました。

家族と楽しそうに笑う写真

子どもが早くできたので

そのうち年賀状の写真には孫が登場するようになりました。

孫と遊んだり、バスケットの試合を応援しに行ったり

とても幸せそうです。

 

ただ、今年は年賀状は届きませんでした。

年賀状もどーかなー、みたいな風潮もあるなかで

私も最小限しか出さなかったので仕方ありません。

もうつながりはなくなるのかな・・・

 

特にわだかまりもなにもないのですが

ヒデオくんにもしも会うことが出来たら

ここに書いた学生時代の最後のことを伝えたいと思います。

大学1年からずっと、一緒に遊んでたけど

最後は別々だったから、お互いが知らない時間があったので

そんな話しもしたいかなと。

 

ちなみに、私の大学時代を締めくくった曲は

KUWATA BANDの名曲「スキップビート」

 

♪ スケベー ♪ スケベー ♪ スケベー

ヒデオくんに捧げる懐かしき名曲です。

 

本日も日々の備忘録のようなブログに

おつきあいいただき、ありがとうございます。