Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

君が教えてくれたこと

表面を見ているだけでは

何も見えていないのだと

気づかされました。


自閉症の君が教えてくれたこと」

それは、自閉症の作家、東田直樹さんのドキュメンタリー

 

人とのコミュニケーションが取れない自閉症でありながら

タイプライターを模した紙の文字盤を手元に置くと

思っていることを表現する東田さん

 

その一言、一言が

私の考えをひるがえしていきます。

そして、とても純粋で真っ直ぐな言葉に

心が洗われました。

 

東田さんが書いたエッセイ

自閉症の僕が跳びはねる理由」は

東田さんが13歳のとき

自分には知能がある

心があると言いたくても

その手段もないまま

授業についていけない知恵遅れとみなされ

特別支援学校に進路を変えざるをえなくなってしまった

そのときのエッセイです。

 

それまで

多くの健常者は

自閉症者には心がないと思い込んでいましたが

このエッセイがきっかけとなり

多くの人が、はじめて自閉症者の心の内を知ることになりました。


30カ国の言語で翻訳され

自閉症の子どもを持つ多くの人に希望を与えました。

自閉症を持つ親たちは、自閉症者の心の内を知ることで

自分の子どもにも愛情や知性が備わっていることを

信じられるようになったということです。


翻訳をしたのはアイルランドの作家、デェビット・ミッチェルさん

彼もまた、自閉症の子どもがいます。

 

息子が何を考えているのかわからず

絶望していた時に

東田さんのエッセイに出会います。

そこには、息子さんがなぜ、突然、床に頭を撃ちつけるのか

なぜ急にパニックのようになってしまうのか

理解できなかったすべての答えが書いてありました。

 

ミッチェルさんはすぐに翻訳に取り掛かります。

出版されると間もなく

それは他の言語にも翻訳され

世界30カ国に広がって行きました。

 

ドキュメンタリーの中で東田さんに

「13歳の自分にメッセージを送るとしたら」という質問がありました。

はじめ、「ありのままでいい」というメッセージを答えますが

打ち消して答えます。

 

「つらい毎日を送る僕の耳には届かないと思います。

つらい毎日は果てしなく長い

でも、人生は短いという事実を伝えたいです。

当時の僕にとって

時間の経過は果てしなく

いつまでも降りられないブランコに乗っているみたいなものでした。

でも、君が乗っているブランコもいつかは止まる

それまで一生懸命こぎ続ければ

同じ景色も違って見えると

僕は教えてあげたいです。」

 

ミッチェルさんに

アイルランドに招かれた東田さん

ミッチェルさんは自閉症の息子さんと東田さんが

心を通わし、友達になってくれることを期待していたようです。

しかし、食事会の席でも二人は言葉を交わすことはありません。

 

東田さんが帰国する日

お互いの家族がお別れの挨拶をしていたその時

息子さんが東田さんに近づいてきて

握手をします。

 

ミッチェルさんは二人が手を握り合っていることに

大きな喜びを感じ、

「私はいつまでもこの記憶を宝物として持ち続けることでしょう」

と語ります。


しあわせを自分の尺度でとらえようとしている自分がいます。

私の考えや気持ちや感情をひるがえしていったのは

限られた常識に囚われた目で物事を見ることで

いかに自分の世界を狭めているかに気付かされたからなのだと思います。

 

物語はこんな言葉で締めくくられています。

「僕たちは可哀想だとか気の毒だとか思われたいわけではありません。

ただみんなといっしょに生きていたいのです。

みんなの未来とぼくたちの未来がどうか同じ場所にありますように。」

 

このドキュメンタリーを届けてくれた東田さん

ディレクターの丸山さんをはじめとするスタッフの皆様

そして、いつも東田さんに寄り添うお母さん

本当にありがとうございます。

 

本日も日々の備忘録のようなブログに

おつきあいいただき、ありがとうございます。