Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

父の誕生日

10月9日に、父は88歳になりました。

 

少し前の夏の終わり頃

実家へ行ったとき、母から話をされました。

親父の今度の誕生日に

自家用車を廃車にしようと思っているということでした。

高齢ドライバーは事前の講習があって

申し込んでも順番待ちで

前回の更新のときには

車屋さんにも探してもらって

遠方の自動車教習所まで受けに行ったそうです。

車検も保険もまだあるようなのですが

免許更新が大変であきらめることにしたそうです。

 

以前から、少々、もの忘れが激しくなってきたので

何かしでかしてしまう前に

そろそろ免許返納したらいいのに、と思い

やんわりやんわりと返納を促して来ましたが

ようやくその気になったようでした。

 

年寄り夫婦には

たまに、近隣の日帰り温泉や道の駅にでかけるぐらいしか

楽しみはないんだろう。

そうしている間は元気なのかな、と思い

なかなか強く言えないで来ました。

 

母からその話をされたとき

保険の手続きとか、わかりにくいところがあれば

「私の方でやるから」と言ったら

「そうしてもらえると助かる」と言われました。

 

母が言うには、車の処分については

以前から付き合いのある近所のホンダの販売店に相談したら

無料で廃車にしてくれるとのこと。

 

「じゃあ、9月の第3週の土曜日か日曜日あたりかな。」

私がそう言うと、親父は壁掛けのカレンダーに鉛筆で「車手続き」と書きこみました。

 

親父は、もの忘れがひどくなっていて

それから少し経って

保険解約の書類が届いても

何度も見返していたようですが

テーブルの上におくと、しばらくすると忘れてしまい

また、書類を眺めてはテーブルに置く

その行為を繰り返していたようです。

 

9月のある日曜日、

午前中に実家に電話を入れました。

母が電話に出ました。

「今日、午後にそっちに行くから。車をホンダに持っていくよ」

「わかった、ありがと」

「念のため、ホンダに、今日行くって電話しておいて」

「わかった。」

 

そして、午後2時頃、実家に行ってみると

母がちょっとご立腹の様子でした。

「お父さんたら、あなたが車を持っていくから

ホンダに電話するって言ったら、自分で言うっていって

電話もしないでホンダまでいったんだよ!」

 

親父は戻って居間にいましたが

状況がよくわかっていないようでした。

もちろん、ホンダでも特に何を言う訳でもなく戻ってきたそうです。

まあ、今さら、大騒ぎしてもかわいそうだしと思い

お茶を飲みながら、冗談を言ったりしていました。

 

そろそろ、4時になるかという頃

私は「そろそろいくか」と言い

父を促しました。

なんとなく、一人で運転させるのも気がひけて

私が親父の車に乗って向かうことにしました。

 

助手席に座っていましたが

しっかりした様子で

危なげなくホンダに到着しました。

 

日曜日の夕方、ショールームは家族連れが多く

ほとんどの商談席は埋まっていました。

受付の女性に用件を伝えると

中央の空いている席で少し待つように案内されました。

 

しばらくして、中年の男性がきて

用件を確認されました。

その男性は、親父に向かって

「もう、乗らないんですか?」と笑いながら声をかけました。

そして、「息子さんですか?」と言いながら

手続き用の書類を私の方に差し出しました。

決心が鈍るから、あまり余計なこと言わないでほしいなあ、と思いつつ

「はい」と答えて、書類に書き込みました。

任意保険の残りの振り込みのことを説明してもらいました。

 

「お車の鍵をお借りします。車見てきますね」

そう言うと、一旦、事務所に入り

それから外に車を見にいったようです。

 

少しして男性が戻ってくると

書類とキーをテーブルの上に置いて

「お車にお忘れものとか入ってませんか?

なければこれで、こちらの方で手続き進めておきますね」

と確認され、意外なほど簡単に、手続きは終了しました。

 

「それじゃあ、よろしくお願いいたします。」

そう言って席を立つと

親父が横から、車のキーに手を伸ばしました。

「あっ、もう預かってもらうんだから・・・」

そう言って、私は親父の手を遮りました。

 

20分ほどの帰り道

私は親父に一から説明しました。

悲しいかな、今日までの経緯をほとんど忘れているようです。

腹を立てても仕方がないので

できるだけ丁寧に、話しをしました。

 

自宅に戻ってもすべてを飲み込めない様子でしたが

また、説明しました。

 

ーやっぱり、これでよかったんだー

 

数日後、心配になって自宅に電話を入れてみました。

母が話すところによると

その後、散歩に出かけると駐車場を見て

「あれっ、俺の車ないんだけど?」と言って

家に戻ってくることが何回かあったようです。

その度、母が説明していたら、だんだん理解するようになったようです。

 

 ーやっぱり、これでよかったんだー

 

父もそうでしたが

歳をとっても

車ぐらいはしっかり運転できる、という思いこみが強いようで

自分の身体の衰えを受け入れ難いもののようです。

昨今、高齢者ドライバーの急発進や逆走が

テレビで報道されていますが

本当に他人事でないし

家族にとっても本人にとっても

老いることはとても辛いことです。

我が家の場合は、人様に迷惑をかけることなく

ゴールを迎えたのが何よりのことだと思っています。

 

私の親父は

中学校の英語の教師をしていました。

子どもは私を含めて3人

私が生まれた頃、我が家は決して裕福ではなかったようです。

公務員の給料は今と違って

民間企業よりも安かったようです。

日本が高度成長期を迎え

当時の内閣が所得倍増計画を始動して

ようやく親父の給料も人並みになって行ったようです。

酒が好きで

先生仲間が我が家に来て

よく酒を飲んでは唄を歌っていたのを覚えています。

 

でも、それ以外は着るものも食べるものも

親父は特段の贅沢もせずに過ごしてきました。

 

中学校1年か2年のとき

子どもたちの誕生日には

ケーキを買ってくれたりして祝ってくれていましたが

親父の誕生日は何もせずに終わっていました。

なんとなく、それが寂しいと思い

その年の親父の誕生日に

私は、タバコを1ハコ買ってきて

親父の机に置いて、その下にメモ用紙を挟みました。

「誕生日おめでとう」

 

でもそれが最初で最期のプレゼントでした。

 

あれからもうだいぶときは流れました。

もうそんなことは忘れてしまっていると思います。

 

親父の記憶が消えてしまわないことを願いつつ

まだ、元気でいる間は

楽しい会話が続くことを祈りつつ

あと、何度、誕生日が来るのだろうか。

そんなことを考えてしまいます。

 

本日も日々の備忘録のようなブログに

おつきあいいただき、ありがとうございます。