Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

お母さんの命日

6月6日は、ぼくのふたりめのお母さんの命日。
ふたりめのお母さんとは
妻のお母さん、つまり義理の母である。

お母さんが亡くなったという知らせが来たのは
12年前の朝のことだった。
家の電話がなって、妻がその電話をとった。
妻は「母が・・・」と言ってひどく驚いたかと思ったら涙を流し始めた。
電話を切るとぼくたちは、すぐに実家へ向かった。

実家に着くと、茫然とするお父さんと
近所の人たちに囲まれて横たわるお母さんがいた。

前の日の夜、腰が悪いお父さんはいつものように
先に寝床に入ったらしい。

片付けを終え、お母さんはお風呂に入ったようだが
お風呂の中で座った姿勢で帰らぬ人となった。
急性の心不全だったのだ。

朝、目を覚ましたお父さんが
いつもと違う様子に気が付き
お母さんを探した。
そして、お風呂で発見したというのだから
どれだけ驚いたのだろう。

一晩中、お風呂に浸かっていたお母さんと
慌てて家のなかを探した
腰が悪く、歩くのも不自由なお父さんを想像すると
自然と涙が流れてきたことを覚えている。

お母さんは岩手の第一地銀で定年まで勤め上げた人で
小柄で明るい性格の人だった。

はじめて会ったのは
結婚前、ぼくが仙台から群馬に転勤することになったとき
当時付き合っていた今の妻が
実家に挨拶してよ、というので
離れて付き合うということはそういうことなのかと深くも考えずに
あいさつに行ったときである。
あとあと考えれば
「結婚を前提にお付き合いしています」的な
あいさつであるべきだったのだろうが
当時のぼくは、転勤による周辺の変化にとまどっていて
本当に深く考えていなかったのである。

そんなぼくにお母さんとお父さんはやさしく
ご馳走をふるまってくれた。
実家をあとにするときにお母さんが独り言のように
「一年後くらいかなぁ・・・」とつぶやいた。
一年後?なにが一年後なのだろう?
少し考えようとしたが、頭の中で流れていった。

 

転勤後のぼくは、慣れない土地での生活と
ハードな仕事に追い立てられていた。
はじめての一人暮らしで、料理さえも満足にできないぼくは
毎日コンビニ弁当をビールで流し込む夕飯が当たり前となっていた。
比較的スリムだった身体も少しもったりしてきて
それと比例するように、部屋のなかは
ゴミが入ったコンビニ袋がまるで風船のように
ところせましと広がっていた。いわゆるゴミ屋敷だ。
そして、一年後、あのつぶやきが現実になっていた。

それから、正月とGWとお盆には
お互いの実家に帰省するようになっていた。

帰るたびお母さんは、ご馳走で迎えてくれる。
お正月には、ぼくの大好物のタラバガニを用意してくれて
これまた大好きなビールをいくらでも飲ませてくれた。
お腹が張り裂けるほど食べては
「疲れるから横になって」という言葉に甘えて
食べ終わると、グースカ寝させてもらった。

初孫となるぼくの娘が生まれると
とにかくかわいがってくれた。

お母さんが亡くなって半年後、
あとを追いかけるようにお父さんも逝ってしまった。
葬儀の日、歩けなくて、
誰かが準備してくれた椅子に座りながら
霊柩車に運び込まれるお母さんを玄関先で見つめ続けていたお父さん。
とてもお母さんを愛していたし、頼っていたし、甘えていたし
そして何より、亡くなる瞬間を知ることもなく
寝床で休んでいたことの申し訳なさで
年老いた肉体は力を失くしていた。


ぼくは親戚づきあいが少ない家で育ち
両親や兄弟も大きな病気もすることもなかったから
身内の死に直面することがほとんどないまま、いい歳になっている。
それに比べて、妻の心中はどのようなものだったのだろうか。
後悔することのひとつに、そういうことを察することができない
自分の存在がある。

この時期になると、誰もいない妻の実家にいき
お墓の草むしりをして掃除をする。
ぼくらが帰省したときのためにと
わざわざお母さんが家の隣の郵便局の跡地を購入してくれた
駐車場も雑草で茫茫になっているので草むしりをする。
お盆まで、2回ぐらい行って
そのたび、頭にくるほど逞しく伸びる雑草を刈るのだ。
いくらきれいに刈り取ってもどうせまた生えてくる。
そんなにやらなくてもいいのだけれど
これだけはやらなければいけないのだと、なぜか思う。

今年は、新型コロナウイルスの影響で
県境をまたぐ外出を自粛しなくてはならないため行けていない。
お母さんの命日の前に
妻とあの雑草はどのくらい伸びているんだろうか
お盆の前にはいかなきゃな、と
笑いながら話した。

ささやかな日常がふと、しあわせに感じることがある。
ぼくの場合、
当たり前のようにやさしくしてくれた
ふたりめのお母さんの存在が
時間の流れとともに、とても懐かしい。
しあわせだったなぁ、と。

だからその分、あなたの娘さんには感謝したい。
あらためて、そう思うのだ。

 

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