Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

思考の言語化

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「自分のこと」うまく話せますか?

そう問われると、大きく首を横に振ってしまいそうです。
自分を語る、自己表現することに自信がないと感じている人は多いのではないでしょうか。

私は、学生時代、バンドサークルの司会担当でした。どちらかというと人前で話すことに抵抗がなかったのでしょう。バンドの入れ替えのとき、間をもたせるために、好き勝手なことを話していました。就職するとお決まりの定型句をはずさないように意識するようになり、年を取れば取るほど、人前で話すのが苦手になってしまいました。

「自分の経験を話す」「自分自身を紹介する」こういうことを苦手だと感じている人は多いのではないでしょうか。

日常の会話は事実を伝えることで、だいたいが成り立ちます。

「こんにちは」「元気?」とか、「今日、午後から雨になるそうだよ」「大阪で緊急事態宣言が発令されたね」とか、会話の入り口としての挨拶やニュースなら、特に苦手意識を持つことなく、だいたいの人は話しができています。ときには、積極的に話しをしなくても聞き役になることで、自然に会話が盛り上がることもありますね。「うん、そうだね」「それそれ、それいいね」「それ聞いたことある」「僕もそう思う」とか、タイミングのよい相槌で、楽しくその場が過ぎるなんてことも多いですね。

一段難しくなるのが、読んだ本から得た知識や人から聞いた情報を誰かに話す場合です。難しいとは言っても、一度言語化された情報や知識を話すわけですから、ある意味、きちんと再生されれば問題ないわけです。

難易度が高いのが、自分自身の経験を話すときです。その事実は自分だけしか知らないものですから、言葉の中に、その場の状況を再現するというイメージの言語化が必要になってきます。

イメージを言語化するというのは、そうたやすいものではありません。

スポーツ中継で、解説者はその道で活躍した元プロ選手であったりしますね。かつてイメージを体現した人なんですね。日々の練習の中で、「あそこはこうだ」とか「もっとこうすると強くなれる」「次はこれが来る!」とか、多くの練習や試合を経て来ています。そうまさに言語化を積み重ねてきたのです。だからこそ、上手に解説ができるわけです。
逆に言えば、イメージは言語化されなければ、自分の言葉で語ることや表現することが困難なものなのです。

私達は、毎日、いくつもの経験をしています。見たり、聞いたり、感じたりという、言葉になりづらい体験は右脳で捉えています。最近は、スマホで写真を撮って残しておいたりして、友人に「この間のこれこれ」とか言って話題にしたりするのですが、言葉を補う画像というものが助けてくれています。イメージは右脳で捉えた情報を左脳に伝えて、言葉にして人に伝えていくわけですが、ここが弱いと「なに言ってるかわからない」と言われがちになります。

つまり簡単なことや些細なことでもいいので、自分の経験したことをエピソードとして変換していく訓練をすることを繰り返していくと、右脳と左脳のコンビネーションが鍛えられて活性化していきます。

はじめは、意外に難しいですね。ちゃんと書こうとすると、なかなか書けなかったりします。
人に見られるとか考えないで、一行日記を書くとか、雑記ブログを書くとか、感じるままに書いていくことから文章にして発信してみるといいのかも知れません。
思考を言語化しなさいとか、よく言われますが、最近はパソコンというツールが一般的なのですぐキーボードに手をかけてしまって画面とにらめっこなんてこともあります。ツールはデジタルだけではないので、メモやノートにちょっとしたことを書いて文字や絵で表現するのが手っ取り早いスタートなのかも知れませんね。いずれにしても積み重ねることが大切なようです。

 

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