Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

トキグスリ

トキグスリ

その不思議な言葉を聞いたのは

以前、同じ会社で一緒だったライターの女性からでした。

残されていたメモの頭に

060825 となっていたので

2006年のことだと思います。

なんの話をしているときに

こんな会話になったのか思いだせないんだけど

 

人は悲しいことがあっても

やがてはその悲しみから癒されるときが訪れ

その悲しみさえも思い出となって

少しずつ忘却の彼方へと消し去っていく

そして、今という時を生きていくのだと

哲学めいたことを議論していたように思います。

 

そのとき、ライターの彼女がふと

「トキグスリですよね。聞いたことがある」

そう言いました。

 

そして、彼女の同期入社で

同じライターの仕事をしていた友人の話を始めました。

 

二人は、向かい合わせのデスクに座り

広告のコンセプト作りから

コピーライティング、プレゼンの企画書づくり

デザインディレクションや撮影のディレクションまで

なんでもかんでもこなしていました。

 

そういう存在が営業にとってはとても心強かったのを覚えています。

 

それまで営業がなんでもかんでもやっていた

中堅の広告会社だった私たちの転換期だったのかも知れません。

時はバブル経済がはじけるちょっと前のこと

私だけでなく、誰もが右肩あがりを信じていたし

彼女たちの入社当時は

多くの採用がありました。

 

その中でも、新卒のライター採用でしたから

人を育てる余裕があり、会社もいい波に乗っていた時期でした。

 

そんな中で机を並べた二人は

良き理解者であり、

良きライバルでもあったのでしょう。

 

友人の子は、美人で学生時代モデルもこなしていたそうで

とても華のある人でした。

しかし、若くして肺がんになってしまい

治療のため

会社を辞めることになります。

 

同期の営業マンと付き合っていて

肺がんを承知で

二人は結婚しました。

 

しかし、友人の子は良くなることはありませんでした。

 

ライターの彼女が弘前の旅館の仕事で

撮影のため車で向かっている途中

訃報が入りました。

携帯のアンテナが3本から2本へ

もう届かなくなりそう、そのときだったそうです。

 

やむなく一晩、宿で過ごし

スタッフに訳を話して

翌日、単身で高速バスで仙台に戻ります。

 

彼女は、その帰りのバスの中で

友人に向けて手紙を書き綴りました。

 

想いの全てを綴った手紙は

亡骸とともに棺に納められたのです。

 

彼女は、そのことを忘れないように

同じ枚数の白紙の便箋を残し

今も大切にしています。

友人のことを思うとき

仕事に行きづまったとき

その便箋の束を手にとって考えるのだと言います。

 

以前、ニュース23という番組があって

そのテーマ曲になっていた

Bank Bandの「to U」は

トキグスリのことを唄った歌だと

何かで聞いたことがありました。

 

インターネットで「トキグスリ」と検索してみましたが

あまり多くはヒットしませんでした。

個人のブログに

どこかの地方で語り継がれている言葉というのを見つけただけでした。

 

その頃、「to U」の歌詞を覚えたくて

何度も何度も聴いたのを思い出します。

 

誰かを通して 何かを通して

想いはつながっていくのでしょう

遠くにいるあなたに今言えるのはそれだけ

悲しい昨日が 涙の向こうで

いつか微笑みに変わったら

人を好きに

もっと好きになれるから

頑張らなくてもいいよ

 

なぜだか涙がこぼれそうになる曲です。

 

ライターの彼女とは

その後も仕事を通じ

そして良き話し相手としてつながっています。

 

仕事ではさまざまなことあって思い悩んだり

諦めなくてはならないこと

呆れてしまうこともたくさんありました。

なぜだか理由もなく

苦しい気持ちに襲われることもあったけど

最近、少しだけ前を見れるようになっているのは

トキグスリのおかげかもしれません。

 

本日も日々の備忘録のようなブログに

おつきあいいただき、ありがとうございます。