Flaneur-フラヌール-

50代からのSecond Life

この世にたった二人

営業の仕事をしていたとき
当然、苦手なお客さんや厳しい人もいて
できれば、自分が行きやすいところだけだったらいいのに
と考えることがあった。

でも商売というのは不思議なもので
信念のある人、多少強引に物事を進める人ほど
勢いがあったりするものだ。
迷いがないから、どんどん挑戦する人は
少しずつ世の中を変えていく。
そういう人をたくさん見てきた。
だから、仕事を獲得するためには
苦手な人にも積極的会わなければならなかった。


大抵、こちらの話しはさておき
自分のペースでぐいぐい押してくる。
売り込みをしても話は流されるし
断り切れない頼みごとも多々あった。

そんなとき、
この人とぼくのたった二人しか、この世の中にいなかったら
と考えるようにしていた。
いつの間にか、これが自分の営業としての持論になっていた。

 

高校生のときに
草刈正雄主演の「復活の日」という映画を見た。
内容はほとんど忘れていたのだが
つい先日、不要不急の外出自粛ムードのとある日曜日
Amazonプライムで、その映画を見つけ、再度見てみた。

 

密かに研究が進められていたウイルス兵器が
陰謀によってウイルス研究所から持ち出されてしまう。
他国へ持ち出そうとするが
飛行機事故によって雪山に墜落し、ウイルスは地上にばらまかれてしまう。
雪解けとともに、閉じ込められていたウイルスが世界中に広がっていく。
そして、世界中で、次々と人々が病院に押し寄せ
パニックとなり、医療崩壊が起こり
やがて、地球上には南極に生存していた人たちだけになってしまうのだ。
その南極探検隊の一員が、主人公の草刈正雄なのである。
各国の南極探検隊が集まり、小さな自治が作られる。
生き抜くための議論が繰り返されるのだ。
そんなとき、
いつか起こるかも知れない巨大地震によって
アメリカ合衆国の核のボタンが作動してしまうということが議論される。
それを止めるために草刈正雄アメリカに向かう。

しかし、不幸なことに核のボタンを解除する前に地震が発生。
地上はすべて核により燃え尽きてしまうのだ。
寸前に地下に落ちた草刈正雄は生き延びる。
ウイルスにより滅んだ世界、核で燃え尽きた荒野をひとり歩き
南極を目指す。

 

物語の最後は、残された人々との再会で幕を閉じる。

 

2時間以上の角川映画の大作
当時はとても話題になったから観にいったのだと思うが
人間の記憶はあいまいなもので
ただただ、長い映画だったなぁという記憶でしかなかった。

 

おそらく、この映画がうっすらと頭に残っていて
営業で苦手なお客さんと対面したとき
この人、世の中で二人きりだったなら、と
自分に言い聞かせるようになったのだと思っている。

 

でも、本当に誰かと、この世に二人きりになったら・・・

 

やっぱり、助け合わなくてはならないし
少しぐらい嫌な奴でも、いっしょにいるうちにいいところに気付けるかも知れない。
ときには、腹の立つこともあるけれど
もし、居なくなってしまったら独りぼっちになってしまうと考えたら
許してやろうかな、と思ったりするだろう。


もし、もう嫌だ、と思うことがあって
縁を切ってしまう前に、この世に二人きりだったらと
少し引いて考えてみるのも悪くない。

 

究極の選択のような話しになってしまったけれど
家庭、両親、友人、仕事仲間、近所の人、よく行くお店の人・・・
さまざまな人と接すると確かに嫌なこともあって
なぜか落ち込むこともあるけれど
一期一会という言葉もあるように
大切に味わうと見えてくるものがあるかも知れない。

昨日、久しぶりにコンサルで独立している先輩に電話をしてみた。
そうしたら心配してくれて
事業計画を作るときの参考資料があるからと
早速、メールを送ってくれた。
人って、あったかいな、とあらためて思う。

本日も日々の備忘録のようなブログに
おつきあいいただき、ありがとうございます。

 

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